剣と正義と優先席ー

自分は、他人のマナーにうるさい方だとは思っていない。
そもそも自分自身が未熟であり、人様に対してどうのこうのと言える立場ではないからだ。
しかし……
「でよ、そいついきなり逆ギレしてさ」
「そーそー、なんかぎゃーぎゃーうるせーからソッコーでボコってやったけどな」
「なんだ、俺も呼んでくれればよかったのに」
電車の優先席を若い男が三人で占拠しているのを見ると、さすがに苦言を呈したくなる。
もちろん専用席ではなく優先席なのだから、彼らに座る権利がないとは言わない。
だが、混雑している状況で、優先される人物が目の前にいるのなら話は別だ。
「……ふぅ」
彼らの前に立っている老婦人は体調が優れないのか、辛そうなため息を漏らした。
まさに、こういう人が優先されるべき座席なのに、彼らは一向に席を譲ろうとはしない。
「……」
連中を強制排除したいという衝動に駆られる。
しかし、それをやった後に老婦人が気持ちよく座席に座れるとは思えない。もっと別の方法を考える必要があるだろう。
「っ……」
電車がカーブに差しかかり、ガクンと車内が揺れた。

その揺れにバランスを崩し、老婦人が前のめりになる。
「ご、ごめんなさいね……」
寄りかかる格好になった老婦人を、男のひとりがぐいっと強く押し返す。
「ばーさん、ジャマ!」
「ああっ」
逆にバランスを崩した老婦人。
慌てて自分がその身体を支えた。
「っ……大丈夫、ですか?」
「は、はい……ホントにごめんなさいねぇ」
人の良さそうな老婦人が申し訳なさげに頭を下げた。
ふつふつと怒りが湧いてきて、それをぶつけるように連中をにらみつける。
「ん? なんだぁ?」
「……あなた方は、字が読めないのか?」
「はぁ? 読めねーわけねーだろっ!」
「そうであるならば、この状況下で優先席に座っている健常者がとる行動くらいわかりそうなものだが……」
「知るかっ!」
「なるほど。字は読めるが、意味を理解するだけの知能は持ち合わせていないということだな」
「てめぇっ! いい加減にしろよっ!?」
激高したひとりが立ち上がり、他のふたりも追随した。
この連中と一戦交えるのはかまわないが、さすがに電車の中でやるわけには……
『まもなく、洗場海浜公園、洗場海浜公園です、出口は左側です……』
と、まもなく目的の駅に到着か。
ならば――
「この、社会の屑どもめ」

「なんだとぉっ!?」
「聞こえなかったのか? 社会の屑と言っている」
「てめえええ……ブチ殺されてーのかっ!?」
こちらの挑発に乗り、三人が一歩こちらへ踏み込んだ瞬間―― ぷしゅ~……
「っ!!」
電車のドアが開いたので、目の前のひとりに体当たりをした。
「ぬおっ!?」
よろけながらホームに降りたのを見て、自分も電車を降りる。
「てめぇええぇっ!!」
残っていたふたりが、後を追うように電車を降りてきた。
『まもなく、ドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめください』
アナウンスを聞いても、三人組は電車に戻る気配を見せない。
これで優先席は三つ空いた。老婦人もゆっくり座れるだろう。
「さて」
次はこっちの後始末。
「おいっ、てめえっ!!」
「待てやコラぁっ!!」
「ふざけんなあっ!!」
激高した三人組が追いかけてきたので、とりあえず逃げる。
相手に背中を見せるのは癪だが、ホームで騒ぎを起こすわけにはいかない。できるだけ人気のないところで一戦構えたい。
しかし、改札が見えたところで遠くまで誘導することはあきらめた。
まだ、降車客が改札付近で滞留している……
「……」
結局、改札を抜けたところで三人組に囲まれてしまった。
「もう逃げられねーぜ?」

すでに勝った気でいるのか、連中はニヤニヤしながら間合いを詰めてきた。
だが、まったくプレッシャーは感じない。なんの恐怖もない。
「おい、なんとか言えやぁっ!!」
「……社会の屑め」
「てめぇっ! まだ言うかあああっ!」
「なにか言えと言われたから言ったまでだ」
「言っていいことと悪いことがあるのがわかんねーのか? デブにデブって言ったら怒るだろ? ハゲにハゲって言ったら怒るだろ?」
「つまり、屑に屑と言ったから怒っているわけだな?」
「いい加減にしろやああああああっ!!」
正面の男が激高し、ついに拳をあげた。
そのまま躊躇なく、拳は自分の顔面めがけて振り下ろされる――
「んがっ!?」
ガキっと、鈍い音が駅構内に響いた。
「ぼ、木刀なんて卑怯じゃねーか!!」
「そうだっ! こっちは素手だぞ!」
拳を押さえて悶絶している男をかばうようにして、残りのふたりが激しく文句を言ってきた。だが、卑怯呼ばわりされる謂われはない。
「自分は、この剣を武器として使っていない。この後も武器として使うつもりはない」
「へりくつ言うなああああっ!!」
「へりくつではない。それにそもそも、三人で一人を囲む方が卑怯なのではないか?」
「うるせえええええっ!!」
「死ねやああああああっ!!」
残りのふたりが同時に殴りかかってきた。

しかし、背後を気にしなくて良くなる分かわすのは楽だ。剣を使って防御するまでもない。
「逃げるなあああああっ!!」
「このおおおおおおっ!!」
ふたりは懲りずに拳を振るうが、当然かすりもしない。
このまま相手が疲れるまで適当に相手をしておけば……
「え、駅員さーんっ、こっちでーすっ!!」
「っ!?」
騒ぎを見た通行人が、駅員を呼んだようだ。
「ち、ちくしょう、おい、大丈夫か?」
「さっさと逃げるぞっ!!」
……なんという、逃げ足の速さ。
三人組の後ろ姿を呆れながら見つめていると、複数の駅員が自分の周りを取り囲んだ。
「キミ、駅構内でケンカは困るよっ!」
「申し訳ありません。しかし、自分は手を出していません」
「うん、まあ、とりあえず話は奥で聞くから」
「……奥とは?」
「だから、駅の事務所」
「いや、しかし……」
「これだけの騒ぎを起こしたんだから、事情聴取はさせてもらうよ」
「抵抗すると、いろいろ不利になるぞ」
そう言って、駅員たちが間合いを詰めてきた。
今度の相手はチンピラではないので、無理に振り払ったりはできない。
「……」
しかし、このまま事務所に連れて行かれれば、いったい解放はいつになるのだろうか……?

じじさまが自分の合否報告を、今か今かと待っているのに……このままでは……
「待って待って!!」
困り果てたところで、同い年くらいの女子が人混みを縫い、自分の前にやってきた。
「その子、ケンカなんかしてませんでしたよ!」
「そうです、男三人組に一方的に絡まれてました。どう見てもこの人は被害者だと思います」
さらにもうひとり、やはり同い年くらいの男子が出てきて、自分の無実を駅員に訴えてくれた。
「いやしかし……木刀を振り回してたわけで……」
「振り回したりなんかしてませんでしたよ、この人。木刀は守るのに使ってただけで」
「そうそう、周りの皆さんもこの子が一切手を出してないの、見てましたよね?」
女子の呼びかけに、大勢の野次馬が頷いて見せた。
「ほら、目撃者の賛同もこんなにたくさんありますよ? 駅員さん」
「う、うーん……」
若干態度が変わった駅員を見て、女子はポンと叩くようにこちらの両肩に手を乗せた。
「ね、あなたも騒ぎを起こしたって点では、悪いと思ってるんだよね?」
「無論、申し訳ないと感じている」
「だったら、そこは駅員さんに謝って、ほら」
こちらの肩を押し駅員から少し距離を取らせた後、その女子は自分から離れた。
駅員たちと対峙する格好になったところで、素直に頭を下げる。
「……騒ぎを起こして、申し訳ありませんでした」

すると、駅員たちは互いに顔を見合わせて……
「まあ……今回は目撃者の多くがキミを擁護しているようなので……」
「とりあえず厳重注意ということで、今後はこういう真似はしないようお願いします」
どうやら、事情聴取は間逃れたらしい。
「……お騒がせしたこと、重ね重ね、お詫びいたします。申し訳ありませんでした」
「はい、これからは気をつけてね」
もう一度深々と謝罪すると最後は面倒くさそうな顔をして、駅員たちは引き上げていった。
「……よかったわね」
「ほっとしたよ」
騒動が収束すると、自分を弁護してくれた女子と男子が駆け寄ってきた。
今度は恩人のふたりに、深々と頭を下げる。
「このたびは本当に助かりました。ありがとうございます」
「頭あげてよ。当然のことをしただけだし」
「でもよかったわね、余計な時間取られなくて。これから朝岡の合格発表見に行くんでしょ?」
「えっ? 何故それを?」
「ほら、カバンにつけてるお守り、『合格祈願』って書いてあるからきっと受験生なんだろうなって思ってね」
「あ……ああ……そういうことか……」
正月、じじ様に買っていただいた大事なお守り。こうやってふたりに助けてもらえたのも、実はこのお守りの御利益なのかもしれない。
「奉莉、そろそろ電車きそうだよ」
「ん、じゃあ、春に逢えるの、楽しみにしとくね」

「えっ? 春……もしかして、おふたりも朝岡を?」
「おかげさまで、朝岡学園次期一年生となりましたっ!」
そう言って女子は満面の笑みを浮かべ、ぐっと親指を立てた。
ちらりと男子に視線を向けると、やはり同じようにぐっと親指を立てて笑顔を見せてくれた。
「おふたりとも、おめでとうございます!」
「ありがと、それじゃねっ!」
「一緒のクラスになれたらいいねっ!」
「っ……」
手を振りながら、急いで改札へ向かうふたり。
そんなふたりに手を振り返している中、男子の言葉がリフレインする。

一緒のクラスになれたらいいね――

そのひと言は……不思議と心に、強く響いた。


誰がための決心ー

「今日もご指導いただき、ありがとうございました」
稽古が終わり、じじ様に深々と頭をさげた。
「さて……真央よ」
「はい、なんでしょうか、じじ様」
「明日は、朝岡学園の入学手続きの期限じゃ」
そう言って、じじ様はこちらに一枚の書類を差し出した。
「これは……入学申込書?」
「いかにも。しかし儂はまだ、この書類に判を押しておらぬ」

「あ……」
たしかに、じじ様の印は保護者の欄に押されていなかった。
「……どういうことですか?」
「引き返すなら今のうちじゃ。まだ間に合う」
「なにを言っておられるのですか? 自分はとっくに心を決めております!」
「朝岡に進めば中学の時のように、都合のよいときだけ女扱いをしてはもらえぬのだぞ?」
「今思えば、それが甘えだったのです……」
中学卒業までに免許皆伝というのが、自分にとって最大の目標だった。
しかし……それはかなわなかった。
きっと、なにもかもが中途半端だったから。
無意識にどこかで、逃げ道を用意してたから。
だからこそ、自分は……
「朝岡へ進む気持ちに一切の揺らぎはありません。そもそも朝岡なら男子生徒として通えると勧めてくれたのは、じじ様ではないですか」
「いかにもそうじゃ。あそこの理事長は儂の弟子、一声かければなんとでもなる。実際、真央を男子生徒として受け入れてもよいとの言質はとってある」
「ならばなにが問題なのですか? それほどこの真央の決意が信頼ならぬということですか?」
「そうではない。ただ、おまえがどれだけ男であろうとしても、身体は女じゃ……」
「もちろんです。女の肉体であることはどうやっても偽れません。ですから、それを隠すつもりはありません」
「……それでも、朝岡に進むのじゃな?」
「はい」

「うむ……」
自分の本気を推し量るように、じじ様はこちらの目をしかと見つめる。
圧倒的な眼力に気圧されるが、ぐっとこらえる。
そして……
「……なるほど」
「……」
「決意は、固いようじゃな」
「じじ様?」
「はあぁぁぁぁぁぁぁ……」
突然、どこからか取り出した印鑑の印面に息を吹きかけるじじ様。
ひとしきり息を吐いた後、じじ様は印鑑を振り上げ――
「朝岡への入学、許可するぅっ!!」
スパーンと、小気味よい音を立てて書類に判を押した。
「あ、ありがとうございます、じじ様」
「……もう、あとには戻れぬぞ? 真央」
「わかっております、覚悟の上です」
「そうか……それでは、最後にもうひとつだけ訊ねよう」
「どのようなことですか?」
「真央は、なんのためにやっているのじゃ?」
「えっ?」
「真央は、なんのためにそこまで自分を追い込んでいるのじゃ?」
「それは……」
そんなの、決まっている。考えるまでもない。
「無限開真流を継ぐためです」
「……そうか」
わずかに、じじ様の眉がたわんだように見えた。
「なにか、おかしな回答だったでしょうか?」

「いや、そんなことはない。これからも無限開真流免許皆伝を目指し、一心不乱に修行せよ」
「はっ」
決意を新たに、深々とじじ様に頭を下げた。